80歳になってもせっせとデマを流す元農林水産大臣
山田正彦元農林水産大臣の新作デマブログ記事を見つけましたのでツッコみます。
では、それぞれについて見ていきましょう。
■米
※「その3:お米の自給率:農林水産省」より引用
終戦は1945年(昭和20年)で山田氏が生まれたのは1942年(昭和17年)です。
そこを見ると、普通に輸入しています。当時「朝鮮半島」と「台湾」は日本だったので「その他」だけを見ても輸入していて、自給率は100%ではありません。
■麦
※「その11:小麦の自給率:農林水産省」より引用
小麦は1940年~45年のデーが欠損しているので、わかりませんが、100%だったかもしれません。
■大豆
「食農教育 2010年7月号 意外に知らない大豆のマメ知識」によると「昭和十三年には、大豆の自給率は約三二%にまで下がっていた」とのこと。
ということで「私が生まれた先の大戦の時は米、麦、大豆の自給率は100%でした」の少なくとも米・大豆に関しては大嘘であることがわかりました。
①学校給食っていつからあるの?|公文書に見る戦時と戦後 -統治機構の変転-
②年代別モデル献立資料
③学校給食の歴史|学校給食について|全国学校給食推進連合会
上記サイトに戦前・戦後の学校給食について書かれているので、それをまとめます。
・国の制度として給食が始まったのは1946年以降
それより前には貧困層、都市部に対して部分的な制度があったが、山田氏の出身地である長崎県五島は対象外と思われる。
・最初は、主食(米飯など)を家から持ってくる「補食給食」だった
・「年代別モデル献立」というのが②に載っているが、米は昭和17年~50年に登場しない。
「学校給食はパンになってしまいました」とGHQが変えたように言っていますが、本当ですか?
水稲に連作障害が無いのは、春から秋に水を張り、稲刈り前の秋~冬は水を抜くために水田の養分・微生物の種類が偏らないためでしょう。
陸稲(畑で稲を育てること。最近はほとんど見られない)では輪作障害がでることからもわかります。
そのため「連作障害がない」というのは正しい(少なくともコメにおいては)。
だが「どちらも収量が増える」は何を言っているんだ?って感じですわ。
自然栽培で稲と大豆の二毛作をした時に稲の収量が上がるというのならば、わからないでもない(大豆に共生する根粒菌が窒素を固形化するため)。
小麦だけを育てたら連作障害がでるので、稲との二毛作をしないのならば、稲以外のものを育てる必要がある。
そうした場合と比べて、稲・小麦の二毛作をすると小麦の収量が上がる理由が全くもって不明。
小麦は乾燥した所に育つので水田は適さない。湿害があれば収量は激しく低下する。
水田は水はけが悪いので、冬に長雨があれば目も当てられないでしょう。
そして稲の方はどうか?
情報はあまりないのですが「収量性向上視点からみたイネ-ムギ二毛作の生産技術」というのを見つけました。
二毛作にすると、米粒が薄くなるとのことから、単収も減ると思われます。
「どちらも収量が増える」理由が全く思いつかない。
日本全国津々浦々、遺伝子組み換えのナタネが栽培されているように読めます。
日本国内で栽培されている遺伝子組み換え作物は観賞用の花だけです。
「国道沿いのナタネを追って|環境儀 No.75|国立環境研究所」によると、食用油の原料になるナタネの種子が大量に輸入されていて、その輸送の途中で道路に落ちて国内種と交雑したものがあるが、広がっていないと書かれています。
現在日本国内で栽培されてるナタネは食用(ナバナなど)で油用ではないのです。
山田氏は何を言っているのでしょうね。
戦前はベラボウな軍事費なので、戦後の話をしていてるのでしょう。
※「戦後における防衛関係費の推移(参議院常任委員会調査室・特別調査室)」より引用
警察予備隊ができた当時は2.187%、防衛庁ができた時には1.784%、現在は約1%。
「かつてない軍備の増強」ですか。面白いことを仰りますね。
最初から最後までデタラメな内容でウンザリします。
戦前の日本は米、麦、大豆の自給率は100%だった?
毎日新聞が12月16日 (夕刊) の特集ワイドで「元農相 山田正彦さん 80歳」を取り上げて頂きました。またデタラメを。
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私が生まれた先の大戦の時は米、麦、大豆の自給率は100%でした。
では、それぞれについて見ていきましょう。
■米
※「その3:お米の自給率:農林水産省」より引用
終戦は1945年(昭和20年)で山田氏が生まれたのは1942年(昭和17年)です。
そこを見ると、普通に輸入しています。当時「朝鮮半島」と「台湾」は日本だったので「その他」だけを見ても輸入していて、自給率は100%ではありません。
■麦
※「その11:小麦の自給率:農林水産省」より引用
小麦は1940年~45年のデーが欠損しているので、わかりませんが、100%だったかもしれません。
■大豆
「食農教育 2010年7月号 意外に知らない大豆のマメ知識」によると「昭和十三年には、大豆の自給率は約三二%にまで下がっていた」とのこと。
ということで「私が生まれた先の大戦の時は米、麦、大豆の自給率は100%でした」の少なくとも米・大豆に関しては大嘘であることがわかりました。
戦後に給食はパンに変わった?
戦後、進駐軍の車が回ってきて、米を食べると頭が悪くなると宣伝、学校給食はパンになってしまいました。
①学校給食っていつからあるの?|公文書に見る戦時と戦後 -統治機構の変転-
②年代別モデル献立資料
③学校給食の歴史|学校給食について|全国学校給食推進連合会
上記サイトに戦前・戦後の学校給食について書かれているので、それをまとめます。
・国の制度として給食が始まったのは1946年以降
それより前には貧困層、都市部に対して部分的な制度があったが、山田氏の出身地である長崎県五島は対象外と思われる。
・最初は、主食(米飯など)を家から持ってくる「補食給食」だった
・「年代別モデル献立」というのが②に載っているが、米は昭和17年~50年に登場しない。
「学校給食はパンになってしまいました」とGHQが変えたように言っていますが、本当ですか?
誰も国産小麦を作らなくなったんだ~
それに安い小麦粉、大豆が輸入されれば当然のことながら農家は採算がとれないので、誰も作らなくなりました。先ほどの小麦のグラフを見てみましょう。「誰も作らなくなりました」ねぇ。
二毛作だと両方の収量が増える?
連作障害がないし、コメの刈り入れが終われば小麦をまき、二毛作ができ、その方がどちらも収量が増えるのです。また口からでまかせを。
水稲に連作障害が無いのは、春から秋に水を張り、稲刈り前の秋~冬は水を抜くために水田の養分・微生物の種類が偏らないためでしょう。
陸稲(畑で稲を育てること。最近はほとんど見られない)では輪作障害がでることからもわかります。
そのため「連作障害がない」というのは正しい(少なくともコメにおいては)。
だが「どちらも収量が増える」は何を言っているんだ?って感じですわ。
自然栽培で稲と大豆の二毛作をした時に稲の収量が上がるというのならば、わからないでもない(大豆に共生する根粒菌が窒素を固形化するため)。
小麦だけを育てたら連作障害がでるので、稲との二毛作をしないのならば、稲以外のものを育てる必要がある。
そうした場合と比べて、稲・小麦の二毛作をすると小麦の収量が上がる理由が全くもって不明。
小麦は乾燥した所に育つので水田は適さない。湿害があれば収量は激しく低下する。
水田は水はけが悪いので、冬に長雨があれば目も当てられないでしょう。
そして稲の方はどうか?
情報はあまりないのですが「収量性向上視点からみたイネ-ムギ二毛作の生産技術」というのを見つけました。
二毛作にすると、米粒が薄くなるとのことから、単収も減ると思われます。
「どちらも収量が増える」理由が全く思いつかない。
日本では遺伝子組み換えナタネを栽培していない
春には菜の花で列島が至るところ黄色に染まって、それが遺伝子組み換えでない食用油だったのです。菜の花≠食用油なので(菜の花からサラダ油はとれるがイコールではない)日本語がおかしいのですが、まあそこは置いておくとして、なんだこれは?
日本全国津々浦々、遺伝子組み換えのナタネが栽培されているように読めます。
日本国内で栽培されている遺伝子組み換え作物は観賞用の花だけです。
「国道沿いのナタネを追って|環境儀 No.75|国立環境研究所」によると、食用油の原料になるナタネの種子が大量に輸入されていて、その輸送の途中で道路に落ちて国内種と交雑したものがあるが、広がっていないと書かれています。
現在日本国内で栽培されてるナタネは食用(ナバナなど)で油用ではないのです。
山田氏は何を言っているのでしょうね。
かつてない軍備の増強?
それに口を開けば 安全保障のために 敵基地攻撃までミサイルなどが必要で、かつてない軍備の増強だけが叫ばれています。GDP比1%→2%とするのが、かつてない軍備増強だと言いたいようです。
戦前はベラボウな軍事費なので、戦後の話をしていてるのでしょう。
※「戦後における防衛関係費の推移(参議院常任委員会調査室・特別調査室)」より引用
警察予備隊ができた当時は2.187%、防衛庁ができた時には1.784%、現在は約1%。
「かつてない軍備の増強」ですか。面白いことを仰りますね。
最初から最後までデタラメな内容でウンザリします。
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