「やさしさ」の免罪符:デマ屋は困窮し正直者が報われるべき

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「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』(林智裕)を読みました。
特に気になった箇所にコメントします。

この本の脚注・参考資料集はこちら

第1章 被害者文化という侵略者

断罪の流れは過去の行為にまで遡り、ときに歴史的人物にも及ぶ。たとえば2018年には、『大草原の小さな家』などで知られる米国を代表する児童文学作家、ローラ・インガルス・ワイルダーが、「作品の中に反先住民、反黒人の感情が含まれている」ことを理由に、冠の児童文学賞か名前を外された。
2013年からSNSのハッシュタグなどで発生し、2020年には米国で黒人のジョージ・フロイドが白人警察官に殺害されたことを発端に全米的なデモにまで広まった「キャンセル」活動「BLM」(BlackLivesMatter構造的な人種差別や、特に黒人への不当な暴力に対して戦うことを目的とした運動)でも、「奴隷制度を支えた」ことを理由に、南北戦争で南軍司令官だったロバート・E・リー将軍など数々の銅像が撤去された。
なんと!そんなことがあったのですね。知りませんでした。
ポリコレとかBLMとかどうしようもないですな。
今の価値観で過去を断罪するなんてあり得ない。
そもそも、今の価値観も未来永劫変わらないものではないし、そもそも価値観は人ごとに異なる。
多様性をうたうくせに、自身の価値観に沿ったものしか認めないって、クソですわ。それこそ排除するべきものです。
どんな価値観を持とうと勝手ですが、それを他人に押し付けるのはアウト。

ちなみに、過去にBLMって何ぞや?と思って「ブラック・ライブズ・スタディーズ: BLM運動を知る15のクリティカル・エッセイ」という本を読んでみたのだが、差別の歴史について書いているだけだった。
今この時に何を思って、どういう行動をしているかが書かれておらず読むだけ無駄な本でした。

現代社会の政治的活動において、「共感」は大きな力を持つ。特に他力本願を基本とする「被害者文化」にとっては、要求や報復を代執行してもらいやすくなる「強者性」、言い換えれば「政治的影響力」に直結するため、最重要と位置づけられる「資源」である。
一方で、この資源は人々の「お気持ち」「やさしさ」そのものでもある。そのため、公平な分配がされ難い状況がしばしば発生する。こうした状況の説明として、米国には「Black Dog Syndrome(大きな黒い犬症候群)」という言葉もある。これは動物保護施設において、不人気の容姿の動物は多くの貰い手から敬遠されて、最終的に殺処分に至るケースが多いと提唱した説である。
「はじめに」にクマの駆除に反対する人達のことが書かれていたが、これと一緒ですね。
クマの駆除に反対する人は、仮にゴキブリが減っているとした時に駆除することに反対するのか?
十中八九しないでしょうね。自分の価値観に合うものに対して外野から文句を言っているに過ぎない。
こういう輩に限って、自分がクマの被害に遭ったら、国や県が悪い!って裁判を起こすのでしょう。
自分と立場が異なる人の気持ちを推しはかろうとする能力に欠けているのでしょうね。

好き嫌いというもの以外に、優越感なんてが加わるともっとヒドイ。
快楽としての動物保護」という本を読むとよくわかります。

「被害者文化」に抗う:2.囚われた「人質」の解放』ということで、「被害者文化」に浸ってしまった人を社会復帰のために理解させるべきことを箇条書きしている。
その中から、特別に同意するものをピックアップします。
原文に番号はないが、分かり易くするために振り、その後にコメントを入れます。

①社会は善と悪、敵と味方などの単純な二項対立でできてはいないこと
100%善、100%悪のようなものは、それほどない。
ナチスの全てが悪いわけではない。仮にすべてが悪かったのならば、それに投票した人達が全員悪いということになる。
何ごとも良い点・悪い点があると見るべきだ。

②「弱者」「強者」や「正義」「悪」は状況や立場次第で容易に変動すること
「正義」は最たるものですね。人の数だけ「正義」があると思うべき。
各自の「正義」も周りに影響されいくらでも変動する。
一切変動しない/させるつもりのない人がいるとしたら、その人と議論するのは無駄。だって自分の意見を変えるつもりがないのだから、何を説明しようが無駄。
他人に害をなさない限りは無視するに限る。

③あらゆる物事やリスクの判断には、ゼロサムではなく「量の概念」が欠かせないこと
これは、放射線に限らず、農薬・食品添加物にも言える話。
「安全」とは「許容できないリスクがないこと」を指すが、どのレベルを「許容できない」とするかは人それぞれで異なる。
コスト、④でも触れているトレードオフなどを加味して決めるべき。
ベースはあくまでも科学(⑧でも触れられている)でなければ何も決められない。

④何事もトレードオフの関係、「何かを得れば何かを失う」は避けられないこと
リスクトレードオフね。
分かり易い例は、スリランカの国まるごと有機農業化(茶の収量激減で輸出が減り、外貨不足になり、滅茶苦茶になった)とドイツの脱原発(電気料金バグ上げ)でしょうか。
多様性は大事だとよく言ったものです。有機・再エネに全ベットしたので社会的復元力が減ったってことです。

⑤社会から提供される全てのものは、誰かの仕事と負担からできていること
⓺社会は誰もが支える側であり、「お客様」など誰もいないこと
似たようなことを言っていますが、寄生だけする輩は非難されるべきです(身体的理由である場合を除く)。
他人の仕事にリスペクト・感謝できない輩であればなおのこと。

⑦全ての人や出来事に「完璧な正解」を求めたり、必要以上の「悪意」を見出さないこと
「完璧な正解」などないと思った方が良い。④で触れているトレードオフもある。
「完璧な正解」を求めたら社会が成り立たない。100、0の思考ではなく、1歩でもよいので良い方向に進もうとすることが大事。
100を目指そうとする理想を持つのはよいが、100点でなければ0点であるという人とは議論にならない(②に書いたことと同じ理由)。

議論をするのならば、その完了条件を決めるべき。
議論が尽くされていない、国民的議論がされていない、などは言うのは愚の極致。

⑧法や科学など、社会で共有されている標準ルールや客観的事実に謙虚であること
③でも触れたが「法や科学」がベースであるべき。
お気持ちを基準にしたら、社会が成り立たなくなる。
「司法のリベラル」などクソくらえですわ。


⑨「自由」とは互いの不愉快な言葉や表現の存在も許容すること
これはリベラルの考え方そのものだと思うのだが、日本の「リベラル」はこれと真逆。
「多様性の統一」なんて全体主義そのものでしょ?

⑩自ら他者を理解し尊重しようとしなければ、相手からも理解し尊重されないこと
「自分がされて嫌なことは人にするな」と親によく言われたものです。
これが出来れば、世の中はよくなると思う。

第2章 処理水海洋放出と情報災害

東電原発事故では少なくないマスメディアが非科学的なデマやほのめかしを用いて、原発事故による被害を「物語」化させた。それらによって、拡大された社会不安が、二次被害をもたらす「情報災害」を誘発させた。
結果、本来であれば全く避難不要な土地からの自主避難も相次いだ。煽られた不安と恐怖に多くの被災者が苦しみ、自殺者も出た。震災離婚などの家庭崩壊も相次いだ。
・・・
そのような事態を誘発させた言論人やマスメディアからは、今もなお、一切の謝罪すらない。責任を取ることもない。それどころか、全てを国や東京電力の責任であるかのように訴え、反原発や反政府活動の更なる論拠にした。
赤字の部分の最たる例は、『いないことにされる私たち 福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」』という本を書いた朝日新聞の青木美希記者(現在は記者から外された)でしょう。
上記引用の前に朝日新聞の「プロメテウスの罠」の話が書かれているが、彼女はその関係者であり、危険を散々煽ってきた張本人。
それにもかかわらず、上記の本では、自主避難者(子供は自殺)に寄り添っているフリをしている。
謝罪はしないし、責任は取らない。林氏が上記に書いている例としてピッタリです。

「加害者が飽きるまで耐えて何もしない」に至っては、被害者に泣き寝入りを強いて見棄てるだけで、何一つ救いがない。「風評加害」の暴力と偏見差別に耐えているのは、内田准教授ではない。

サイエンスコミュニケーションが専門の内田准教授は自書「科学との正しい付き合い方」の中で次のように語っています。
今の時代、科学技術と私たちの間には、多かれ少なかれディスコミュニケーショ〈コミュニケーションの不和)が生じています。
・・・
両者の間に良好な関係をつくりたいと願い、科学技術と社会の間をつなぐべく活動しているのが、サイエンスコミュニケーターです
「加害者が飽きるまで耐えて何もしない」は、「科学技術と社会の間をつなぐ」ことを放棄していますね。
説明して簡単に「科学技術と社会の間をつなぐ」ことができるのならば、サイエンスコミュニケーターなど不要です。
内田氏自身は「私は科学の専門家ではありません」と言い、なおかつサイエンスコミュニケーターの責務を放棄するのならば、野にいる専門家(研究者ではないが技術系職種の人など)の方がよっぽど役に立ちます。

内田氏批判に関連してテレビ東海の「セシウムさん」の件に触れている。
岩手県の達増拓也知事は関東大震災を例に出して、「大震災や非常事態発生時にはとんでもないデマが飛び交う」と指摘したうえで「マスメディアはデマを沈静化し、誤った情報による国民の混乱を防ぐ使命があるはずだ」と矢面に立って猛抗議を行った。抗議の動きは地元JA、岩手県や東北を中心とした住民などにも波及し、東海テレビ社長の謝罪、スポンサーの降板、番組の打ち切り、対策本部・検証委員会・再生委員会の設置から検証番組の放送にまで発展した。
震災後の日本全国が混乱の中にあった時期、当事者らの猛抗議というかたちで、「一方的かつ迅速に知識を注ぎ込んだ」ことが、誤解の払拭とさらなる風評の抑止をもたらしたと言えるだろう。
「セシウムさん」の件は知っていたが、こういう顛末があったのは知りませんでした。
これを見て、福島県知事とは違うな~と思っていたのだが、第6章(p.328)で戦おうとしない知事を批判していました。

赤字の部分はまさにそう思うのだが、それをしないどころか、積極的にデマを流すから質が悪い。
そのくせに、政府の説明が足りない!などと文句を言う。
政府の広報CMを断っていたっていう話が前作の「正しさ」の商人に書いてあったような気がする。
まさにマスゴミですね。

第3章 海外からの加害行為

「ファクトチェック福島」についてのことが書かれていた。
何かがあっただろうとは思っていたが、まあヒドイ話ですわ(林氏がヒドイわけではない)。

第4章 風評加害との対峙

「美味しんぼ」の鼻血の件は有名だが、関係する漫画の全シーンを見たわけではない。
漫画の登場人物に「福島の人たちに、危ないところから逃げる勇気を持ってほしい」と言わせたそうです。

作者の雁屋哲氏は、鼻血の漫画を出した翌2015年に『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』という本で次のように書いている。
2011年11月から2013年5月まで、福島を回ってこの目で見た真実、この耳で聞いた真実から、下した結論です。
福島の人たちよ、福島から逃げる勇気を持ってください。
あれだけ批判されたのに漫画で登場人物に言わせたのとほぼ同じことを書いているのです。
これだけでは終わりません。
この本では「風評被害と戦ってきたのは、私だ」とも書いているのです。
ヒドイ話です。

仮に福島で放射線起因による鼻血が出ていたのならば、もの凄く放射線が強かったはずで、いろいろ言われていた「風評加害」は風評ではなく事実によるものであったはずです。
雁屋が嘘つきだということです。

この頃、被災地では避難の長期化に伴う「震災関連死の増加」をはじめ、深刻化する問題が他に幾らでもあった。ところが社会は「被曝で鼻血」という怪談にばかり夢中で、人々の関心やリソースが奪われ、被災地が抱えた真の問題になかなか向き合おうとしなかった。
このように誤った情報によって無益なアジェンダセッティングが行われ、対策やリソース配分が妨害され被害拡大に繋がる事態こそ、「情報災害」の典型例だ。
農業デマも同じですね。
東大教授がデマ(例えば農業競争力強化支援法を理由に種子の権利が売られるというもの)によって種苗法改正が妨害されたというのと同じです。
その東大教授は、『脱「今だけ、金だけ、自分だけ」』というが、お前が「今だけ、金だけ、自分だけ」だろ!って感じです。

デマ屋のせいで、ゼロをプラスに持っていく努力ではなく、マイナスをゼロに戻すのにリソースを割かれる。
奴らはクソです。

第5章 「やさしさ」は福島のためか

第5章 の最後にある「福島は魅力に溢れた土地である」で何故か泣けた。
ノンフィクションを読んでいて感情移入するのはよろしくないのだろうけど。

第6章 はずれた予言がもたらすもの

宗教の良い点について触れている。
だが、宗教も人が作ったもので、世俗と同じであるというのを紹介しましょう。

林氏は、河北新報の社説にキレて回答を求めています
この社説には私もキレて次のようなツイートをしています。

宗教新聞である中外日報が「処理水の安全性論議 被害者間の分断持ち込み(11月17日付):中外日報」という河北新報と同じような主張をしています。
結局は人次第ってことですね。

新型コロナが社会的に大きく問題となっていた時に、各宗教がどうすべきと言っているか調べました。
日本基督教団が唯一まともなことを言っていて、幸福の科学に至っては非科学的なことを言っていました。

これほど巨大な影響を社会にもたらすマスメディアの関係者は、しばしば自らを「権力の監視役」のように自認する。まさに「第四の権力」と呼ぶに値する振舞いだ。仮にモンテスキューが現代社会を生きていれば、「三権分立」ではなく「四権分立」と訴えたことだろう。
しかも、「第四の権力」は他の三権と異なり、専門的な知識と責任を担保する資格が不要かつ民主主義的な選挙で選ばれたわけでもない。任期はなく弾劾もできない。他の権力と違い、相応の責任を求められる制度すらない。情報開示の義務もない。
まさしくその通りです。
ただし、他の三権とは違うので「立憲君主制」ならぬ「立報君主制」と言った方が良いかもしれません。
「立報」の「報」は、マスコミをあらわす「報道」の「報」を取ったもの。
憲法もマスゴミの意思によって捻じ曲げようとするから憲法よりも上位に立つという意味で良いネーミングじゃないですかね?

Twitterのコミュニティノートの有効性について触れている。
ロジックが公開されている、機械的で誰かに恣意的な操作がされない、消せないことなどを評価している。

私もよい機能だと思いますが、より良くする提案があります。

①コミュニティノートがついたツイートに対して「いいね」「返信」「リツイート」「ブックマーク」をしていたら、当該ツイートを表示しないでもコミュニティノートが強制的に通知されタイムラインにも強制的に表示される。
なおかつ通知・タイムラインへの表示を解除できない。
「いいね」「返信」「リツイート」「ブックマーク」したことを情報として保持しているので、これを実装するのは簡単なはず。
過去にデマツイートを見て信じてしまった人がコミュニティノートを見つけるとは限らないから。
※2024/04/26 追記 「いいね」「返信」「リツイート」には現状でも通知が来るそうです。

②「いいね」「返信」「リツイート」「ブックマーク」はしていないが、元ツイートを「見た」場合には①と同様のことをする。
これを実現するのにはハードルがある。
何を見たかという情報を記録・保持するので、プライバシーポリシーの改定が必要だろう。
プライバシーの配慮から、保持期間を2週間など短期間とすべきだろう。
実装上も厳しいかもしれない。参照した情報を記録するとすると負荷が増えるし記録情報の増大という問題がある。
ツイートの表示回数を今も保持しているので、それほど難しくないかもしれない(表示回数は回数だけで済むが、これをやるには誰が・いつ見たという情報が必要)。

情報発信のプラットフォームとして、上記ができるとよいと思う。

第6章の最後に「デマは人を殺す」ので『「情報災害」を防ぐために最も大切なことは、「社会を希望で照らす」ことだ』と締めている。
「ペンは剣よりも強し」と言われるが、その通りで「ペンは人も殺す」でもある。
ペンの強さを特にマスコミは認識すべきだ。

「情報災害」に限らず、日本の問題はマスコミが変わることでかなり改善されると考えている。
マスコミは「社会を絶望に落とす」存在ではなく、「社会を希望で照らす」灯台であってもらいたい。

終章 能登半島地震と情報災害

外務省をはじめデマに毅然と向かっていることを書いている。

できることならば、マスコミには自浄作用により改善してもらいたいところだが、安倍元首相が殺された翌日の社説でも自身の反省がなかったので無理なのでしょう。
散々に印象操作・切り取り報道などをしたことが事件の原因の一つであり、今までの自身を反省する良い機会だったと思ったのだがダメでした。
外圧(政府等からの反論、訴訟など)でしか彼らは変われないのでしょう。

おわりに

現状のまま「正直者が馬鹿を見る」「やった者、言いっ放しで逃げた者勝ち」のままで良いはずがない。
その通り。
風評加害をする動機として第2章(p.95)に次のように書いている。
①反原発や政権批判などの政局(政治闘争)
②災害と不安に便乗した詐欺的ビジネス(悪徳商法)
③自己顕示欲や逆転願望、陰謀論等(承認欲求)
これに対して特に異論はない。
先に紹介した東大教授は②のパターンであり、まさに「今だけ金だけ自分だけ」だ(反米ということで少し①もあるが、あまり政治的主張はない)。
こんな輩が得をする社会で良いはずがない。

以前、以下のツイートをした。 『「やさしさ」の免罪符』もそうだが、デマ屋は非難され、まともな本が評価されるべき。

謝辞

第5章で「何故か泣けた」と書いたが、ここでも泣けてしまった。
第5章では理由不明だが、こちらは著者の苦労を想像して泣けたのだろう。また関係者の感謝の念が伝わってきたからなのだろう。


前作の『「正しさ」の商人』では細かい指摘ばかりをしていたが、本作では気になったのは第6章であきたこまちRに関する記述くらい(p.331)。

「放射線の照射による農産物の品種開発は一般的なもので、自然界でも起きている>」
自然界が放射線で品種開発をしているわけではないので、
「放射線の照射による農産物の品種開発は一般的なもので、放射線による突然変異は自然界でも起きている」
などが適切な表現でしょう。

「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」
林智裕
徳間書店
2024/4/1

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