東日本大震災 14年 新聞は社説で何を語る?

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2025年3月11日で東日本大震災から14年経ちました。
この日の新聞の社説を見比べてみました。

東日本大震災 14年 新聞は社説で何を語る?

上記を含め、他の社説はこちら参照。
※共同通信は東奥日報参照

ChatGPTに社説を見てもらって「中立性がない」「おかしな主張」があるものを抽出してもらいました。
指摘があったものだけを以下に示します。
新聞名中立性がないおかしな主張
朝日新聞原発政策批判に偏重「原発依存度低減の削除が問題」とするが、国のエネルギー事情の変化を無視
東京新聞原発政策批判に集中「安全を保証できない」と言いながら原発ゼロを前提とする主張
琉球新報原発政策批判が一方的「稼働期間の上限を40年に戻すべき」という主張に根拠が弱い
しんぶん赤旗政府批判に終始「大軍拡をやめて被災地支援に回せ」という主張が論理的に飛躍


社説リンク

新聞社説
要約
朝日新聞東電の事故から14年 原発災害の忘却にあらがう
東京電力福島第一原発から南に約16キロ。福島県楢葉町の宝鏡寺の境内に、原発事故を語り継ぐ展示館がある。
原発に依存しない社会をめざす。事故の経験という「出発点」を忘れてはならない。
毎日新聞東日本大震災14年 命守るつながり深めたい
災害大国・日本では、いつどこで被災してもおかしくない。一人でも多くの命を救うため、官民が連携し、支援体制を再構築する必要がある。
災害が起きた時、何をすべきか。普段から想像し、臨機応変に対応できる「しなやかな社会」の実現を目指していきたい。
東京新聞3・11から14年 「原発回帰」を回避せよ
2011年3月、東日本は壊滅の縁に立たされました。
統一ドイツの初代大統領ワイツゼッカー氏の金言をいま一度かみしめたい。過去の教訓を顧みなくなった時、人は過ちを繰り返します。
読売新聞大震災14年 問われる「復興のあるべき姿」
未曽有の災害に見舞われた被災地は、一歩ずつ前に進む一方で、難しい課題にも直面している。復興とはどうあるべきなのか改めて考えたい。
南海トラフ地震の被害は、こうした地域に及ぶとみられている。災害後の復興をどう進めるのか、平時から考えておくことが重要だ。
産経新聞東日本大震災14年 教訓を次に生かす決意を 早期避難が津波防災の鉄則だ
「あの日」から14年がたった。東日本大震災の犠牲者に祈りをささげる鎮魂の日が今年も巡ってきた。
全ての国民が真剣に考え、災害に強い日本をつくっていく。その決意を新たにしたい。
日本経済新聞東北の復興に今こそ目を向けよう
東日本大震災から14年を迎えた。未曽有の複合災害がもたらした筆舌に尽くせぬ記憶は歳月を重ねても癒えることはない。
東日本大震災の風化は、次の震災への備えをゆるませる。改めて東北の被災地を訪ね、復興の現在地をその目で確かめたい。
琉球新報東日本大震災14年 教訓は生かされているか
地震、津波、原発事故で未曽有の被害をもたらした東日本大震災から14年が過ぎた。
しかし、福島ではいつまでも過去にならない現実がある。福島の現実を直視し、教訓は何か問い続けなければならない。
沖縄タイムス東日本大震災14年 支援と再建 国の責任で
東日本大震災から14年となる。巨大地震は大規模な津波災害や原発事故も引き起こした。
大規模災害はどこでも起こり得る。全国どこでも被災者を孤立させない取り組みが必要だ。
しんぶん赤旗東日本大震災14年(上)/期間終了で支援終わらせるな
東日本大震災から11日で14年です。甚大な被害に加えコロナ禍、不漁、物価高、岩手県大船渡市での大規模火災発生など、今なお支援が必要な状況は変わっていません。
大軍拡をやめ、今なお必要な被災地支援に充てるべきです。復興特別所得税の軍拡財源への流用は許されません。
京都新聞東日本大震災14年 復興事業の点検と見直しを
原発事故の収束や廃炉、除染土の処分が不透明な中で、住民たちの帰還の希望も細っていく一方のようだ。東日本大震災の発生から、きょうで14年となる。
国、自治体がいかに連携して避難者を守っていくか、本気で対策を練り直さねばならない。
新潟日報東日本大震災14年 被災地に目を向け続けて
被災から年数を重ねても浮かび上がる課題がある。まだまだ復興は道半ばである。
このまま風化を進行させてはならない。被災の実態や悲しみを忘れないことが、何よりの防災につながると心に刻みたい。
北海道新聞東日本大震災14年 復興への道筋より確かに
2万2千人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から14年となった。東京電力福島第1原発事故で住民が離散した福島県の被災地の傷は今も深い。
巨大地震はいずれ来る。事前防災、発生直後の緊急時、復旧・復興期の各段階に合わせた備えを確実にしておきたい。
河北新報東日本大震災14年 未来への課題、問い続けたい
日本列島が「地震多発時代」に入っていることに、もはや疑問を差し挟む余地はないだろう。
体験を次世代に伝える責任が、日を追うごとに、逆に重くなっていると感じる。問うべき課題を決して忘れてはなるまい。
山陰中央新報東日本大震災14年 地元尊重の復興継続を
2011年3月11日の東日本大震災から14年となった。
災害はもう起きないでほしいと願うばかりだが、南海トラフ地震をはじめ備えを緩めることはできない。全国どこでも助け合う気持ちと仕組みが定着したことは大きな財産だ。
神戸新聞復興事業のあと/地域再生を息長く支援したい
東日本大震災の発生から、きょうで14年となる。死者・行方不明者や震災後に亡くなった関連死の人は約2万2千人に上る。
東北の復興が能登半島や次の被災地の希望となるように、国の支援策も身の丈に合った市街地整備を重視する方向に変わっていくべきだ。
中国新聞福島原発事故14年 「回帰」政策、被災者軽視だ
東日本大震災と、それに伴う東京電力福島第1原発事故はきょう、発生から14年となる。
いち早く忘れてしまったのは政府ではないか。被災者と改めて向き合うことが求められる。
日本農業新聞大震災14年の課題 被災地復興を自分事に
東日本大震災から14年。津波被害を受けた農地やインフラは復旧したが、東京電力福島第1原子力発電所事故の影響で住民帰還は進んでいない。
被災地で起きた急激な高齢化や人口減少は、いずれ全国でも起こる課題となる。被災地復興を自分事として捉え、関わりを持ち続けよう。
山陽新聞東日本大震災14年 原発の災禍を教訓として
東日本大震災の発生からきょうで14年になる。東京電力福島第1原発事故による帰還困難区域が残る福島県の住民を中心に、約2万8千人が今も避難を強いられている。
いったん深刻な事故が起これば被害の甚大さは計り知れない。災禍を教訓に幅広く議論し、リスクと真摯(しんし)に向き合うことが求められる。
世界日報東日本大震災14年 若い力による創造的復興を
死者1万5900人、行方不明者2520人を出した東日本大震災から14年が経過した。復興は着実に進んだが、被災地では人口流出などの問題を抱えている。
また、ボランティア団体の事前登録制度の創設などを柱とした災害対策基本法の改正案を今国会に提出している。速やかな成立を望みたい。
秋田魁新報東日本大震災14年 責任持ち除染土処分を
2011年の東日本大震災の発生から、きょうで14年。被災地各地で復興が進む一方、東京電力福島第1原発事故を巡っては重い課題が残ったままだ。
福島の将来の姿が見えない現状では帰還できないという人もいるだろう。政府はこれまで以上に強い覚悟を持って廃炉作業を進め、復興に取り組む必要がある。
福島民友新聞教訓を生かす 震災14年/過ちを繰り返してはならぬ
同じ過ち、後悔をしないために何ができるか考え、行動を積み重ねていくことが大切だ。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から丸14年となる。
その重責を認識し、これまでの教訓を次の世代に伝え、安全や安心を追求し続けていかなければならない。
福島民報【震災14年 被災地復興】新たな課題に対応急げ
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から丸14年を迎え、住民帰還や避難地域の再生、廃炉などさまざまな分野で新たな課題が浮かび上がっている。
県民は震災と原発事故の風化防止に努めるとともに、政治の動向に厳しく目を向け続ける必要がある。
福井新聞東日本大震災の教訓 命を守る備え、抜かりなく
2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からきょうで14年になる。関連死を含めて2万人近くが犠牲となり、行方不明者は2500人超。
南海トラフ巨大地震などの発生が懸念される今、人々の防災行動につながる情報発信や訓練の在り方についても社会全体で向き合う時期である。
高知新聞【3・11から14年】問われ続ける重い教訓
2011年、大津波が沿岸をのみ込み、過酷な原発事故が平穏だった暮らしを破壊した。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故はきょうで発生から14年になる。
問われ続ける「3・11」の教訓。この先も真摯(しんし)に学ぶ必要がある。
東奥日報被災地尊重の復興継続を/東日本大震災14年
2011年3月11日の東日本大震災から14年となった。
災害はもう起きないでほしいと願うばかりだが、南海トラフ地震をはじめ備えを緩めることはできない。全国どこでも助け合う気持ちと仕組みが定着したことは大きな財産だ。
日刊工業新聞東日本大震災14年 「防災立国」への歩みを着実に
2万2000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災の発生から11日で14年になる。
26年度中には防災庁設置を目指すという。防災立国を早期に実現し、多数の犠牲者に報いたい。
八重山日報高まる防災意識 進まぬ対策も
津波に街が吞み込まれる光景をテレビで見て、反射的に「明和の大津波もこうだったのか」と思った。
「3・11」「4・24」は八重山の人たちがこの先もこの島で生活を続けるため、脳裏に刻み付けなくてはならない数字である。

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