女子教育のパイオニア津田梅子
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「女子教育のパイオニア津田梅子」(髙橋裕子)を読みました。
津田塾大学の創設者で、現在の五千円札の肖像にもなっている津田梅子について書かれた本です。
編著者は津田塾大学の現学長で、授業でも使えるようにまとめられているそうだ。
読み終えて感じたのは、創設者を悪く描きたくないという意図が強いのか、人間らしい面に触れる部分があまりなく、少し物足りなかった。
本には、だいたい次のような内容が紹介されている。
・津田塾大学は、最初は「女子英学塾」という名前で始まり、梅子の死後に「津田英学塾」と改称された
・梅子は日本最初の女子留学生5人の1人で、6歳でアメリカに渡り、12年後に帰国したときは日本語をほとんど話せなくなっていた
・1873年2月にキリスト教禁制が解かれ、その後、日本で洗礼を受けた
・二度目の留学では、生物学を学びたいという思いから、周囲に隠れて生物学科に入学した。女性が自然科学を学ぶことが珍しい時代に、自分で道を切り開いた
・アメリカとスイスは、女性に高等教育を開いた最初の国だとされる。ただし、梅子が学んだ当時のアメリカでも、女性教育は「良き妻・良き母」になるための教育という側面が強かった
・イザベラ・バード、ナイチンゲール、ヘレン・ケラー、新渡戸稲造らとも会ったり、交流を持ったりした
女子教育のパイオニア津田梅子:その生涯と女子英学塾建学の精神
髙橋裕子
ミネルヴァ書房
2025/10/28
津田塾大学の創設者で、現在の五千円札の肖像にもなっている津田梅子について書かれた本です。
編著者は津田塾大学の現学長で、授業でも使えるようにまとめられているそうだ。
読み終えて感じたのは、創設者を悪く描きたくないという意図が強いのか、人間らしい面に触れる部分があまりなく、少し物足りなかった。
本には、だいたい次のような内容が紹介されている。
・津田塾大学は、最初は「女子英学塾」という名前で始まり、梅子の死後に「津田英学塾」と改称された
・梅子は日本最初の女子留学生5人の1人で、6歳でアメリカに渡り、12年後に帰国したときは日本語をほとんど話せなくなっていた
・1873年2月にキリスト教禁制が解かれ、その後、日本で洗礼を受けた
・二度目の留学では、生物学を学びたいという思いから、周囲に隠れて生物学科に入学した。女性が自然科学を学ぶことが珍しい時代に、自分で道を切り開いた
・アメリカとスイスは、女性に高等教育を開いた最初の国だとされる。ただし、梅子が学んだ当時のアメリカでも、女性教育は「良き妻・良き母」になるための教育という側面が強かった
・イザベラ・バード、ナイチンゲール、ヘレン・ケラー、新渡戸稲造らとも会ったり、交流を持ったりした
女子教育のパイオニア津田梅子:その生涯と女子英学塾建学の精神髙橋裕子
ミネルヴァ書房
2025/10/28
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