日本遠国紀行: 消えゆくものを探す旅
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「日本遠国紀行: 消えゆくものを探す旅」(道民の人)を読みました。
■第1章 北の斜陽 ――消える北海道の産業、そして街…
・炭鉱は日本で完全になくなっていると思ったが、坑内掘りで北海道の釧路コールマイン1か所、露天掘りでは石狩炭田・留萌炭田など数カ所残っている
・石炭積み出しのための幌内-小樽間の約90km幌内鉄道ができたが、北海道初・全国でも3つ目の鉄道だった
・かつて東洋一といわれた高さ約51mになる住友の奔別炭鉱立坑櫓が幾春別に今も残っている
・昭和40年に築別炭砿区で6000人、羽幌本抗区で3500人、上羽幌地区で2500人いたが、閉山から2年経った昭和47年には、それぞれ2人、55人、42人となった
・ルピナスは飼料・肥料用に導入されたが、人がいなくなったところでも野生化して咲き誇っていて「離農花」とも呼ばれている
■第2章 異形の神々が佇む村 ――秋田の人形道祖神
・道祖神の最も古い記録は平安時代の938年に書かれた「外記庁例」
・道祖神は「境界」を司る神で、外から疫病・厄災が入ってこないように祀られる。
ここで紹介されている秋田の例だと、入口と出口に2体、だいたい藁でできた人形を祀っている。
・明治の神仏分離で寺と神社が分離させられ、道祖神なども禁止されたが、現代でも残っている。
人形道祖神は関東以北、特に東北、その中でも秋田が多い。
関東だと茨城県石岡市の「ダイダラボッチ」、千葉県君津市広岡地区の「鹿島人形」
・コンバインは特別な設定をしない限り稲藁を粉砕してしまうので、人形道祖神を作るため確保が必要
■第3章 死者の婚姻 ――東北と雪の死生観(山形・青森)
・津軽地方の神社では境内に狛犬ではなく狛馬がよくある。軍馬の生産が盛んだったから。
・天明の大飢饉では津軽藩25万人の内、餓死者は10万、病死者3万、田を捨てたのが8万という記録がある
・東北の一部では幼い子供・未婚の若者が亡くなった場合、あの世で架空の相手と結婚する「冥婚」というものがある
■第4章 最後のイタコに会いに行く ――死者の口寄せと実像のイタコ(青森)
・本物のイタコは、目が不自由な人がなる職業で、師匠について数年間修行をして、その証として数珠など道具をもらった人を指す
・青森県のイタコは5人で(恐山の商業的イタコを除く)、目が不自由で本物は一人だけ。
最年少は50代だが、その人は目が見える。
・師匠のイタコはもう一人も残っていないので、今後新たに本物のイタコが生まれることはない。
本物のイタコの場合は、師匠を辿れて、最年少のイタコの場合は5代前まで遡れる
・イタコが死者を呼び寄せるというのは、その職のほんの一部であり、多くはカウンセラー的な行為
■第5章 隠れキリシタンを訪ねて ――島原・天草巡礼記(長崎・熊本)
・北海道でも隠れキリシタンがいて、今でもその遺物が川で見つかったりする
・天草では年中正月飾りを飾る習慣がある。潜伏キリスタンが表面上、仏教・神道であることを示すためにやっていたのが、潜伏キリスタン以外にも広がった
・明治時代にキリスト教が解禁されたので、隠れキリシタンのほとんどは「カクレ」ではなくカトリックになった。
カトリックと「カクレ」は別物になっていて、カトリックにはならず、ごく少数が「カクレ」のまま残った。
・天草で江戸後期の1805年に「天草崩れ」という5000名を超えるキリスタンが検挙された。
とても裁けないということで、踏絵を改めて行って血が一滴も流れない措置となった。他の地域と比べると圧倒的に軽い処分だった。
比較として載っているのは長崎の大村の件。「郡崩れ」で608名検挙、斬首411名だった。
■第6章 祇園坊主の里 ――中世を垣間見る奥三河の祭礼たち(愛知)
・祇園坊主は2章の人形道祖神にかなり近いモノ
藁人形作りが現存するのは希少で、特に祇園坊主と呼ぶものは2例のみ
・祇園信仰とは疫病除けの牛頭大王を祀る習慣のことだが、京都の祇園祭りなどは派手さだけ残って本来の意味は薄れている
■第7章 紀伊山地と十津川村 ――この世界に果て無し(奈良)
人口減少時代なので、全ての文化を「遺す」ことはできないし、「生たまま」とするのはなおのこと無理だ。
そのため、完全に消えてしまう前に写真・映像・文章として記録しておくことは大事だと思う。
「失われゆく日本」(エバレット・ケネディ・ブラウン)という本もこの本と似たような主題のものでしたが、両方とも個人的には高評価です。
上記のような考え方が近いからなのかもしれない。
「道民の人@『日本遠国紀行』(笠間書院) 12/1重版決定(@North_ern2)さん / X」
著者のXアカウントです。
日本遠国紀行: 消えゆくものを探す旅
■第1章 北の斜陽 ――消える北海道の産業、そして街…
・炭鉱は日本で完全になくなっていると思ったが、坑内掘りで北海道の釧路コールマイン1か所、露天掘りでは石狩炭田・留萌炭田など数カ所残っている
・石炭積み出しのための幌内-小樽間の約90km幌内鉄道ができたが、北海道初・全国でも3つ目の鉄道だった
・かつて東洋一といわれた高さ約51mになる住友の奔別炭鉱立坑櫓が幾春別に今も残っている
・昭和40年に築別炭砿区で6000人、羽幌本抗区で3500人、上羽幌地区で2500人いたが、閉山から2年経った昭和47年には、それぞれ2人、55人、42人となった
・ルピナスは飼料・肥料用に導入されたが、人がいなくなったところでも野生化して咲き誇っていて「離農花」とも呼ばれている
■第2章 異形の神々が佇む村 ――秋田の人形道祖神
・道祖神の最も古い記録は平安時代の938年に書かれた「外記庁例」
・道祖神は「境界」を司る神で、外から疫病・厄災が入ってこないように祀られる。
ここで紹介されている秋田の例だと、入口と出口に2体、だいたい藁でできた人形を祀っている。
・明治の神仏分離で寺と神社が分離させられ、道祖神なども禁止されたが、現代でも残っている。
人形道祖神は関東以北、特に東北、その中でも秋田が多い。
関東だと茨城県石岡市の「ダイダラボッチ」、千葉県君津市広岡地区の「鹿島人形」
・コンバインは特別な設定をしない限り稲藁を粉砕してしまうので、人形道祖神を作るため確保が必要
■第3章 死者の婚姻 ――東北と雪の死生観(山形・青森)
・津軽地方の神社では境内に狛犬ではなく狛馬がよくある。軍馬の生産が盛んだったから。
・天明の大飢饉では津軽藩25万人の内、餓死者は10万、病死者3万、田を捨てたのが8万という記録がある
・東北の一部では幼い子供・未婚の若者が亡くなった場合、あの世で架空の相手と結婚する「冥婚」というものがある
■第4章 最後のイタコに会いに行く ――死者の口寄せと実像のイタコ(青森)
・本物のイタコは、目が不自由な人がなる職業で、師匠について数年間修行をして、その証として数珠など道具をもらった人を指す
・青森県のイタコは5人で(恐山の商業的イタコを除く)、目が不自由で本物は一人だけ。
最年少は50代だが、その人は目が見える。
・師匠のイタコはもう一人も残っていないので、今後新たに本物のイタコが生まれることはない。
本物のイタコの場合は、師匠を辿れて、最年少のイタコの場合は5代前まで遡れる
・イタコが死者を呼び寄せるというのは、その職のほんの一部であり、多くはカウンセラー的な行為
■第5章 隠れキリシタンを訪ねて ――島原・天草巡礼記(長崎・熊本)
・北海道でも隠れキリシタンがいて、今でもその遺物が川で見つかったりする
・天草では年中正月飾りを飾る習慣がある。潜伏キリスタンが表面上、仏教・神道であることを示すためにやっていたのが、潜伏キリスタン以外にも広がった
・明治時代にキリスト教が解禁されたので、隠れキリシタンのほとんどは「カクレ」ではなくカトリックになった。
カトリックと「カクレ」は別物になっていて、カトリックにはならず、ごく少数が「カクレ」のまま残った。
・天草で江戸後期の1805年に「天草崩れ」という5000名を超えるキリスタンが検挙された。
とても裁けないということで、踏絵を改めて行って血が一滴も流れない措置となった。他の地域と比べると圧倒的に軽い処分だった。
比較として載っているのは長崎の大村の件。「郡崩れ」で608名検挙、斬首411名だった。
■第6章 祇園坊主の里 ――中世を垣間見る奥三河の祭礼たち(愛知)
・祇園坊主は2章の人形道祖神にかなり近いモノ
藁人形作りが現存するのは希少で、特に祇園坊主と呼ぶものは2例のみ
・祇園信仰とは疫病除けの牛頭大王を祀る習慣のことだが、京都の祇園祭りなどは派手さだけ残って本来の意味は薄れている
■第7章 紀伊山地と十津川村 ――この世界に果て無し(奈良)
古い町では、なんらかの産業、祭礼や伝統芸能が廃れてもなお、観光会館やイベントで当時の姿を再現・保存している例は全国各地で見られる。それらは敢えて刺激的な言葉で言えば「文化の死体」ではないか。保存し、伝えようと努力しなければ残らない(もちろん保存し、後に伝えることも重要であり、その活動を否定するわけではない)。史料的あるいは文化的に価値があるために延命されているとも言える。あまつさえ世の中から価値を見出されないものは容赦なく捨てられ、忘れ去られていく。これは大いに同意します。
文化の生死という視点に立って見た時、天川村の洞川温泉と大峰山の山岳信仰は、生活と信仰が生きている。文化が「遺っている」のではなく、「生きている」のだ。ここは景観が良いだけの温泉街では決してない。たとえ山へは登らずとも、文化とは、伝統とは何だろうか?と考えを巡らせてくれる、信仰のある村なのである。
人口減少時代なので、全ての文化を「遺す」ことはできないし、「生たまま」とするのはなおのこと無理だ。
そのため、完全に消えてしまう前に写真・映像・文章として記録しておくことは大事だと思う。
「失われゆく日本」(エバレット・ケネディ・ブラウン)という本もこの本と似たような主題のものでしたが、両方とも個人的には高評価です。
上記のような考え方が近いからなのかもしれない。
「道民の人@『日本遠国紀行』(笠間書院) 12/1重版決定(@North_ern2)さん / X」
著者のXアカウントです。
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